ホーム> ふんどし「褌」> 褌について>

◆褌について

 初期のきものが、男性は横幅、女性が貫頭衣であったろうと言われています。ではこの横幅衣や貫頭衣の下着にはどんなものが使われていたのか興味がわきます。 古い書物の中に、女は『褌』(たふさぎと読む)というものを着けていたと書かれているものがありました。この褌とは、女性の腰から下を包む、いわゆる腰巻き状のものであったようです。また別の書物には褌について二股のものであったということと埴輪の着ける下着の形から現代の男性用下着の褌(ふんどし)につながっているようです。ふんどしとは、両足を出すという意味のことばであり『踏み通し』『ふどし』となまって生まれたもの。また、たふさぎとは『またふさぎ』がなまったもので。 このたふさぎと呼ばれた『ふんどし』は、今日の六尺ふんどしと呼ばれるものや、相撲のまわしに近いものであったようです。そして、先の『踏み通し』『ふどし』がなまったふんどしは、今の『もっこふんどし』とか 『越中ふんどし』といわれるものと似たようなものだろう考えられる。 
  男性の腰肌着にふんどしが古代より使用されていたことは先に述べたが、桃山から江戸時代のふんどしには次のようなものが使われていた。 貴人や大名は白羽二重、士民は白ざらし木綿で長さ六尺(六尺ふんどしのこと)『時には縮緬なども用いられていた。また江戸初期の奴、侠客は紅木綿を用い、紺色や紺紋は好事の人に用いられた。ふんどしの一種に越中ふんどしというのがある。長方形の布の片端に紐を通す筒を作り、これにくけ紐を通す。紐を通した布を腰に当て、紐を前でしばり、片端の布を前に引き上げて紐を通して垂らすもので、江戸時代は主に僧、医師、老人などが用いた。この名の起こりは、松平越中守が倹約のために作ったとも、大坂新所の遊女、越中が片袖を切って客に贈ったものをふんどしにしたことに始まるとの説もありますが、定かではありません。また もっこ(今風でいえば布製のコンテナ)に似ているところから『もつこふんどし』と呼ばれるものがあり、一見、越中に似ているが、片方の布の両端に紐をつけた形のものであり、女形が用いたものといわれていますが、美夜古企画から地理的に近い筑豊の炭鉱では女性が着用して坑内で働く様子が描かれています。
(参考資料、株式会社 婦人画報社発行 『美しいキモノ』より)

<もどる